2013年02月13日

『ジュース』

 何のために?
 どんな意味があって?

 発することそのものが誤りである、という問いも世の中には存在するものだ。
 これはその最もわかりやすい例。

 ひとりの子どもが今まさにその生命を終えようとしている。
 散らかり放題の薄暗い部屋の中で、たったひとり。
 冷たい床の上にうずくまって、もう動くことが出来ない。
 誰にも望まれないままこの世に生まれ落ちてから、わずか数年の短い一生だった。
 子どもは懸命に生きようとしたけれど、周囲の大人達は優しい手を差し伸べたりはしなかった。
 誰からも愛されず、ひとりぼっちで捨て置かれて。
 最期の数日間は散乱した生ごみを食べて飢えをしのいだけれど。
 そこまでだった。

 悲しいことだ、それはもうどうしようもないくらいに、絶望的なまでに悲しいことだ。
 この子の痛ましい死を知ったなら、心ある人々は皆が大いに嘆き憤り、いたいけな子どもが何故このように悲惨な目に遭わなければならなかったのかと問うだろう。

 その問いに答えがないことを、誰もが薄々気づきながら。

 まず認めよう、そもそもひとが生きていることに意味などはないのだということを。
 誰もが何かを成し遂げるためにこの世に生まれてきたのだと、そういった根拠のない決めつけが大勢を不幸にしているのだと、それをまず受け容れよう。

 生きることに意味はない、であれば何事をも成せなかった一生でも、「それはそういうものだったのだ」と割り切ることが出来る。
 いま子どもがひとり、寒い部屋の中でその短い生涯を終えようとしている。その子は両親からさえも愛されず、ひとりの友達もつくれず、この世界に生まれ落ちてこの方良い思い出などひとつも持てなかった。常にイライラとしている親の叱責や罵声に怯えながら、満足な量を与えられない食事を補うべくゴミ袋に捨てられたジュースの空き缶にさえしゃぶりついて、優しく抱きしめられることも楽しく笑いあうこともなく生きていた。その子は一体何のために生まれてきたのだろう? 「何のために」などない、「それはそういうものだったのだ」。

 けれど、マトモな人間がこの考え方を受け容れることは、おそらくない。
 意味づけの毒に狂った人間の脳は、無理矢理こじつけてでもあらゆる物事に意味を見い出さずにはおかない。
 それは当事者である子どもにしても同じ、自分の一生にそもそも意味がなかったということを、まだものごころつく前の幼さにも関わらずその子は受容出来ないのだ。

 何のために。
 どんな意味があって。
 何故。
 どうして。
 どうして自分が。
 どうして自分だけが。
 自分の生命にはどんな意味が。
 生まれてきたことにどんな理由が。
 何をするために。
 何も出来なかった。
 本当は。
 本当は。
 本当はもっと違った生き方が。
 成し遂げるべきことがあったはずなのに。
 それなのに。
 それなのに。
 それなのに。

 ───無念が、凝る。
 またあたらしい『木偶』が生まれる。
posted by 樋川春樹 at 19:42| Comment(0) | はる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『すかさず』

 はじめて『木偶』が発見されたのは、いつのことで、どこでだったのか?
 驚くべきことに全ての世界のあらゆるものごとを記録し記憶しているはずのこの図書館にさえ、その明確な記述は存在しない。
 気づいたときには『木偶』はあらゆる時間・あらゆる場所にいて、全ての『枠』を虚ろに喰い荒らす機会を狙い続けている。

 ボク達のように『木偶』と戦いそれを消し去る役割を負ったもの達は、大昔から複数存在していた。
 呼び名は色々。ボク達は『狩人』と呼ばれるし、『天使』という名を与えられることもあれば、『使徒』と呼称されることもある。もちろん他にも呼び方は多数ある。

 『木偶』の存在が観測されると、それを駆除・殲滅せよという指令がすかさず下される。連中は世界にとってはどうしようもなく有害で、放置することの許されない害悪だから。
 ボク達の中の誰がその指令を受けるのかは、そのときが来るまでわからない。ボク達の『マスター』に指示を出すのは、その全容を把握することが誰にも出来ないほどに巨大な複数の『枠』にまたがる組織だ。その組織が一体何なのかさえも、ボク達にはわからない。

 『枠』の裏側を見るときは、わかることの方が少ないほどだ。
 ボク達もなるべく知識や情報を増やそうと気をつけてはいるけれど、何かにつけものごとは想定よりも遥かに複雑に入り組んでいて、付け焼刃の認識なんかはたやすく振り切られてしまう。
posted by 樋川春樹 at 19:41| Comment(0) | はる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『衝撃』

 あれからもうどのくらいの時間が経っただろうか。
 あれから……生まれてすぐに死んでしまう運命にあった赤ちゃんを、途方もない回数の試行錯誤の末に天寿を全うさせるぐらいまで生き延びさせてから。
 変えられないものなどないのだと証明したくて、自分でもどうかしてるんじゃないかと思うぐらいにその運命を変えることに固執した。常人ならばとうに発狂していても不思議はないほどの膨大な失敗の果てに、『引き金』はついにこれまでならあり得なかった未来にその赤ちゃんを送り出した。
 今にして思えば、自分がどうしてあのときに『その逆の存在』について思考を巡らさなかったのか、すこし不思議に思えてしまう。

 彼女に出会ったのは、単なる偶然だった。
 とある航空機事故におけるたったひとりの生存者。
 初めて彼女を見たとき、強運の持ち主なのだろうとは思ったけれど、それはまだそこまでのことで。
 彼女の真価に気づいて衝撃を受けたのは、『引き金』を用いた介入を始めてからだ。

 彼女は『強運の持ち主』なんてありふれた表現では説明がつかないほどに、運の強い人物だった。
 どんな過酷な運命をぶつけてみても、かならず生き残ってしまうのだ。
 大した怪我も負わずに生き残り、どの人生においても100歳を超えるほどの長生きをする。

 彼女が通学に使っていた電車を脱線させてみたこともあった。
 彼女が休日に歩いている交差点に大型トラックを突っ込ませたこともあった。
 80歳を超えた彼女が心臓発作を起こして救急車で搬送された晩に、大渋滞を引き起こして病院に辿り着けなくしてやったことさえあったのに。
 何をどうしようとも、彼女は定められた寿命の日−同じ年の同じ日の、同じ時間の同じ場所−でしか死ぬことがなかった。

 100年以上に及ぶ彼女の人生のあらゆるポイントで『引き金』を試す。
 それは前回以上に正気の沙汰とは思えない、偏執狂じみたチャレンジだった。
 『枠』の外に流れる無限の時間を潰すにしても、それはあまりに手間のかかり過ぎる大仕事だった。
 けれど彼女は、こちらの執着をものともせずにあらゆる運命を切り抜けてしまう。
 まわりでどれだけの人間が死のうとも、彼女一人だけはどうしたって生き残ってしまう。

 これは一体どういう運命なのか───数え切れない回数彼女の最期を看取っても、よくわからない。
 何かに護られている、なんてことではないだろう。
 だって、彼女の人生はいつも決して幸福なものとは呼べなかったから。
 定められたおしまいの日、彼女はそれまでの人生を振り返る。
 自分の目の前で生命を落とした多数の人々、救えなかった人間、もしかしたら自分の代わりに死んでしまったのかもしれない人間の数をかぞえながら、彼女は息を引き取るのだ。
 それは多分、生まれてすぐ死ぬことよりもずっと残酷で救いのない運命だ。

 だから。
 変えられないものなどない、そのフレーズをまた心の中に呼び起こす。
 もしも彼女が、家族と、友達と、恋人と、同じ事故で───死ねるのなら。
 あるいはそれこそが、彼女を幸福にしてくれる運命なのではないかと、思うから。
posted by 樋川春樹 at 19:41| Comment(0) | はる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月06日

『ペナルティ』

 視界が未だに暗い、左足を引きずった状態でしか歩けない、姿勢をまっすぐに保てない。壁に手をつこうとして初めて気づいた、肩のすぐ先から左腕をまるごと何処かに落として来てしまったようだ。
 一時は意識が数秒単位で途切れて世界全部にノイズがかかったように認識されるぐらい消耗していたけれど、その症状はもうほぼなくなった。
 どれだけのダメージを受けようとも、どれだけの怪我を負おうとも、この身体はそれを自ら修復する。うっかり無くしてしまった腕も、二十四時間も経てばまた新しく生え変わる。明日『マスター』と顔を合わせる予定はないから、次に会うときまでにはすっかり元に戻っている計算だ。
 会えないのは寂しいし悲しいけれど、この惨状を見られて不安がらせたり怖がらせたりせずに済むと思うと我慢しようという気になれる。
 油断していたワケではないのに傷を負い過ぎた。『木偶』の数が想定以上に多過ぎた。死ぬとも負けるとも思わないし予想外の出来事が起きても焦ったりもしないけれど、いささか面倒な事態だった。
 『仕事』がなかなか終わらず『マスター』のところに帰れない時間が長くなると、なんだか自分が理不尽なペナルティを受けているような気分になってくる。いわれなき罰を与えられているような。痛みも恐怖もないまがいものの生命にとって『木偶』と戦い続ける日々はどれほどの意味も持たない。ただ、あのひとと離れた場所にいることだけが、つらい。
 無くしたのが足の方でなくて良かった、と頭の片隅で考える。自分の身体に無頓着なのは良くない、と仲間に説教されたことを思い出す。傷を負う、怪我をするということをきちんと恐れないと、『仕事』をするうえで妨げになりかねないと。そう言われてもぴんと来ない。でも、『マスター』が泣き出しそうな顔をするのを見ると、可能な限り人間と同じように振る舞うようにしよう、と───。
 『木偶』を壊す感触。自分達が存在する意義。あのひとのそばにいないとき、自分が認識する世界は灰色の鈍い膜に覆われていて、ずっと遠いところにある。
posted by 樋川春樹 at 19:49| Comment(0) | はる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『ぶつくさ』

 人間にとって自分が100%自分でいられる幸福な時代は遅くとも生まれてから数年で終わり、ものごころつく前に人間は社会の中に組み込まれて、自分が自分で居続けることはほとんどの場合無用のトラブルしか招かない罪悪であることを教え込まれる。
 行きたくない場所に行き、好きでもない人達と、やりたくもないことをする、そんな日々が延々と繰り返される。おそらくは、いつか寿命が終わるその日まで。
 ぶつくさ文句を言い合いながらも、たいがいの人間は大きく逸脱することもなくそんな毎日をやり過ごし、数十年にも及ぶ一生を不本意なままに終える。
 たまには幸せな時期もあるかもしれないけれど、冷静に振り返ってみればやりたくともやれなかったことはあまりに多く、本当はやりたくなかったのにやらされ続けたこともまた、あまりに多い。
 それでもそのように生きることだけが平穏に人生を閉じる方法なのだとしたら、そもそも何故生まれる必要があるのだろうと。そんな抑圧された状況でただ息を潜めて時間が経つのを待っているような、そんな一生にどんな意味があるのだろうと。

 理不尽な生に対する疑問に押し潰されそうになって、足掻いて、もがいて、そうして飛び出した『枠』の外で、幾千幾万もの人間の生きざまをただ傍観することを続けて。
 ようやく理解することが出来た。不平不満にまみれながらも続いていく日常の尊さを。誰もが自分の好きなことばかりしていたのでは人間は生きてゆけない。その中にいたときには見えないし気づけもしないつながりの中で、人間は生かされているのだと。
 やっと気づいたそのときには、この身は人ならざるものに変わり果て、もはやどのようなつながりさえも必要とせずに生きられる、いびつな存在へと成り果てていたのだけれど。
posted by 樋川春樹 at 19:48| Comment(0) | はる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『蝋燭』

 雨がやんでくれて良かった、風もなくて良かったね、私が気にするようなことじゃないんだけど、それでもやっぱりね。

 やわらかなちいさな炎があちこちで揺れている。
 まわりを見回しながら立っている彼女の手にも、蝋燭のひかり。

 いいよね、こういう雰囲気。……本当はいいものじゃないんだけど、悲しいものなんだけど、……でも、いいと思う。いいと思うよ。

 答えを必要としないままつぶやきを続けて、それから彼女は持っていた蝋燭をそばにある無数の蝋燭達と同じところに置いた。数歩下がってしまえば、もうどれがさっきの蝋燭なのか判別がつかなくなる。

 全部何本あるんだっけ? ───いや、いいか、別に知らなくても。悲しい数だものね。綺麗だけれど、つらいよね。これみんな亡くなったひとの……。

 オレンジ色に優しく染まった彼女の顔。すいと目を細めて、次の瞬間には吹っ切ったように頭を振る。

 迷ったけど、やっぱり今日来て良かったね。来ても来なくても同じだって思ってたけど、全然違うよね。……忘れちゃいけないんだよ、こういうことは。多分。わかんないけど。……でも、いいと思うんだ。

 わずかな風に、儚い炎が揺れる。
 地上に落ちた星達のように、数えきれないほどの数の蝋燭が、小さな光を放っている。
posted by 樋川春樹 at 19:47| Comment(0) | はる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月30日

『キングダム』

 時間は巻き戻せないし、あったことをなかったことにも出来ないけれど
 結局のところきみはどうするべきだったんだろう?

 中途半端がいけなかったと思うのかい?
 もっとたくさん傷つけておけば、殺しておけば良かったと?
 この期に及んでそういうことを本気で考えているのかい?

 申し訳ないけれどその方向にはどれだけ行っても正解はないんだよ
 そういう方向を見続けることしか出来なかったからきみは失敗したんだよ
 馬鹿なきみが唯一とりえた正しい行動は
 頭の中の素敵な王国にひきこもってそこから一歩も出ないこと
 簡単で単純で、何の労力も技術もいらない、ただそれだけのことが
 きみを含めたどれだけの人数にとって最良の選択だったことか

 わかってる、きみは自分を変えたかった、世界に関わりたかったんだよね
 色々な鬱屈がきみの精神を痛めつけて、そのまま生きていることなんて到底出来なかったんだよね
 だからきみのかわいそうなアタマで練り上げたプランに従って、世間がきみのことに注目せざるを得なくなるような大事件を起こしたつもりなんだよね

 ねえ、だからさっきから尋ねているじゃあないか?
 世界は変わったか、と。
 自分は変わった?
 きみは救われたの?

 ほらまた何も答えられずに黙り込んでしまったね
posted by 樋川春樹 at 22:58| Comment(0) | はる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『一向に』

 根本的に誤った答えに安易にも飛びついてしまったから
 きみは金輪際ラクにもなれないし今後救われることもない

 確かに世界はきみにとってつらくて苦しくて理不尽なことばかりで最低最悪のところだったけれど
 それでもなおここには絶対に守らなければならないルールがあったんだよ

 弱くて愚かなきみは取り返しのつかない罪を犯してしまった

 そう、きみはその罪をうまく隠して逃げおおせることも出来なかったほど、弱くて愚かだから
 ちゃんとした『枠』の中で生きている間じゅう様々なことが一向にうまくいかなかったのもうなずける

 きみは自分が大それたことをしでかしてしまったと思っているね
 これだけのことをしてしまったのだから
 きっと自分は追及され詰問されそしてついには理解されるはずだと
 望んでも得られなかった他者からの関心を、語る機会を手に入れられたと思っているね

 ところが感情論を排した客観的な目で見るときみがしたことは全然大したことじゃない
 残念だけれどきみの話をじっくりと聞いて理解しようとしてくれる人間なんて出て来たりしないんだよ
 きみはここにおいても掃いて捨てるほどいる似たようなことをした連中の中の一人に過ぎないから
 きみだけが特別扱いされるような場所はもうどこにもないんだよ
posted by 樋川春樹 at 22:57| Comment(0) | はる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『開封』

 どきどきした?
 わくわくした?
 クリスマスの朝に、枕もとに置かれていた大きなプレゼントの箱を開けるときみたいに胸がはずんだ?
 ありったけの勇気をふりしぼって書いたラブレターの返事をついにもらって、それを開けるときみたいな?
 高揚はあった?
 ときめきはあった?

 ねえ、世界は変わった?

 それまで閉ざされていたページを無理に開いたね。
 絶対に読んではいけないページだったのに。
 それなのに好奇心をおさえきれなかったんだね。
 自分にはそのページを読む資格が、自分こそがそれを読むに値する人間なのだと、信じてしまったんだね。

 アタマの中で綺麗に練り上げた最初の『計画』では、一体何人殺すつもりだったの?
 どれほど華々しく、どれほど雄々しく行動出来る予定だったの?
 とっておきのあれやこれやを、いよいよ実行に移した感想はどうだった?
 自分のために用意されていたと−愚かにも哀れにも思いこんだ、特別な贈り物のリボンをほどいてみた気持ちは?

 ねえ、どうして「それでも何も感じられない」なんて、どうしようもないことを考えているの?
posted by 樋川春樹 at 22:56| Comment(0) | はる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月21日

『アイシャドウ』

 アイツらおかしいんだよ、オトコのクセしてみーんな化粧してるの。
 目のトコとか、ポスターでしか見たことないような派手でキツいアイシャドウ、つけてるの。
 カオにもヘンな模様みたいなの描いて、キモチワルいんだよ。
 ベツに怖かったりはしないけどさ、ちょっとオチカヅキにはなりたくないカンジだよね。

 珍しくも裏方仕事を買って出た同行者が偵察から戻って真っ先にもたらしたのは、そんな愚にもつかない情報だった。他に見てくることも覚えてくることもたくさんあっただろうに、一番目につく点にだけあっさりと引きつけられてそれ以外は全部すっ飛んでしまうんだから。そういうのは想定の範囲内だったから特に落胆することもなく聞き流して、こちらから質問を投げかけることで必要な情報を整理してゆく。

 聞き取りの間にもあのフェイスペイントは一体何なのかとうるさくしつこく尋ねて来るものだから、詳しいことはすぐには言えないが、おそらくは魔除け、戦意を昂揚させるための呪術的な意味合いを持つものだろうと適当に答えておいた。本当のところは当人達にしかわからないし、もしそれが先祖代々の伝統であり『こういうときにはそうするものだから』という理由でしていることだとすれば当人達にさえもわからないことなのかもしれない。もしかしたら戦いに敗れて首をとられたときに恥をさらさないように彩りを加えているのかもしれないし、単純に相手を威嚇するための色彩かもしれないのだ。

 もっとも、そのアイシャドウにどのような意味が込められていたとしても、ボク達にとっては何の意味もない。相手にどのような意図があり、相手がどのような行動に出て来るとしても、ボク達はいつでもどこでもただなすべきことをなすだけだ。邪魔になる要素があるのならば徹底的に排除して。これまでそうしてきたように、そしてこれからもそうしてゆくように。
posted by 樋川春樹 at 23:39| Comment(0) | はる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『うっかり』

 誰も自分が死ぬ日を知らないから、今日も昨日の続きだと思って安易に過ごしてしまう。
 今日が終われば自動的に明日が来るものと思い込んで、油断しきって眠りにつく。
 自らがいつか死んでしまう存在であることを、生き物は容易に失念してしまう。
 もっとも、そうでなければ到底正気を保って生きてゆくことなど出来ないのだろうけれど。

 何かをやり残しても、うっかり忘れてしまったとしても、また次の機会にすればいい、取り戻すチャンスは他にもあると思ってしまうから、何度でもミスを繰り返してしまう。
 失敗したとしても取り返しのつかないほどの事態にはならないだろうと根拠もないのに楽観的に思い込んで、今は誤ったとしてもこの先で修正すればいいのだと自分に言い聞かせる。
 おそらくそれが今夜も安らかにベッドで目を閉じるために必要な要素で、ままならないことばかりのこの世界で絶望せずに生き続けるための秘訣なのだ。
posted by 樋川春樹 at 23:38| Comment(0) | はる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『風車』

 からから、からから、と。
 小さく細く、それなのにはっきりと聞こえてくる軽い音を頼りに、ふらふらと足を進める。
 その頼りない音はそんなに遠くまで響くとは思えなかったからすぐに辿り着くと思っていたのに、結構な距離を歩かされてしまった。
 からから、からから、と。
 弱々しくも虚ろな音がそんなに遠くまで届いたのは、あたりに物音を立てるようなものがひとつもなかったからだ。
 見渡す限りの焼け野原に、生きているもの動くものの影はない。
 瓦礫で覆われた大地の真ん中に、ちっぽけな墓標のように突き立ったおもちゃの風車が、プラスチックで出来たその羽根を風に吹かれるまま回しているだけだ。

 それは不思議な光景だった。
 天をつくような高さのビルが見る影もなく倒壊した後の同じ大地に、チャチな子どものおもちゃが凛と立っている。
 あらゆる全てを焼き尽くした炎が過ぎ去ったばかりだというのに、プラスチックの羽根も木製の軸もわずかに焦げてさえいなかった。
 からから、からから、と。
 乾ききった風が吹くに任せて、勢いよく羽根を回し続ける。

 祭りの屋台に並べられているような雑なつくりの安っぽい風車だ。
 これを手にして喜ぶのはせいぜいが幼稚園に上がる前までの、本当に幼い子どもだけだろう。
 頭より高く掲げて風が吹くのを待ってみるか、それとも手に持って元気良く走り回ってみるか。
 そんなことで悩まなくとも、遮るもののなくなったこの地に風はいくらでも吹きつけてくる。
 奇妙に寂しい音を立てて、風車はいくらでも回り続ける。
posted by 樋川春樹 at 23:38| Comment(0) | はる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月16日

『ビタミン』

 自分が何故、というのが最大の疑問だった。
 何故自分が───何のとりえもなく要領が悪くて非力で小心者のどうしようもないこの自分が、人ならざる力を持つ『狩人』達に『マスター』と呼ばれ絶対服従の忠誠心を向けられ、それまで自分が住んでいたのとはまるで違う世界の出来事に関わるようになったのか、その理由がわからなかった。

 ずっとそれを、知りたかった。
 一体自分のどの部分が価値があると判断されて、彼らがどういう自分を必要としているのか、自分にどうあってほしいと彼らが考えているのか───自分がどういう役割を果たすことを求められているのか。それが知りたかった。

 知りさえすれば、その通りに動けるから。
 求められていることを、期待されていることを、演じられるから。彼らに必要でいてもらえるように。
 でもそれがわからなくて。不安で仕方がなかった。
 ある日突然、自分が彼らの期待を裏切って───彼らに失望されて、もう用無しだと放り出されるのかと、怖くてたまらなかった。

 でも。
 私は、───この部屋を、知っている。

 『狩人』の一人が、私をこの部屋に連れて来てくれた。
 『マスター』が気に病んでることについて、答えを知る手がかりの一端を含んだものを見せてあげられる、そう言って、私を案内してくれた。

 明るいオレンジと、明るい黄色。柔らかな白と、爽やかなグリーンをアクセントに、いわゆるビタミンカラーでセンス良くまとめられた色彩が、その部屋をいっぱいにしていた。
 学習机には教科書や参考書が並び、ラグの上には数冊のマンガ本、小さなテレビには流行りのゲーム機がセットされていて、ベッドの上には真っ赤なリボンを首に巻いたぬいぐるみのクマがいる。
 しあわせな部屋、だ。
 今は閉ざされている黄色いカーテンを引き開けたなら、きっと太陽の光がいっぱいに差し込んで、空気さえもきらきらと光り出すような、しあわせな部屋。

 ああ、私はこの部屋を知っている。
 絵に描いたような、理想的な、誰もがうらやむような、完璧なしあわせに満たされたこの部屋を、この雰囲気を。
 そのしあわせは完全過ぎてつくりものめいていて、透明過ぎて身を隠す場所もなく、あたたか過ぎてこの身を跡形も残さずに焼き尽くすのだ。

「私がキミ達の『マスター』に選ばれたのは、ただ運が良かったってだけのことなのかな?」

 振り向かずにつぶやいた私を『狩人』の一人は、多分ものすごく悲しそうな、ひどく傷ついたような瞳で見ているのだと思う。
 彼がそんな顔をするのを私はもう何度も見て来たから、想像するのは簡単だ。

「……責めてるワケじゃないんだよ。キミ達が選んでくれたからこそ、私はまだ私でいられるんだね。この部屋に住んでいた子みたいに、ならずに済んだんだね」

 『狩人』が狩るモノ。
 『枠』を内側から喰い荒らし、虚ろに戻す存在。
 答えを知る手がかりの一端。
 その糸口にかすかに、指先が触れた気がした。
posted by 樋川春樹 at 01:09| Comment(0) | はる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『めろめろ』

 『絶望』は生き物を殺す、それはどんな毒よりも確実に迅速に。
 助からない、未来がない、もう生きていても仕方がない、そんな考えにとりつかれるのは何も人間だけではないけれど−実験室のマウスだって、自分の死を悟ったときにはそういう目をする−なんせ人間の絶望というものはわかりやすい。

 長年連れ添った配偶者に先立たれ、彼女はがっくりと生きる気力を失った。
 彼女には二人の子どもと五人の孫がいたし彼ら彼女らとの関係は良好であったけれど、離れて暮らす親族達はひとり暮らしの寂しさを埋めてはくれない。
 朝になって目を覚ましても、夜になって布団に入っても、しんと静まり返った家で彼女はたった一人。
 数十年を共に生きたつれあいが陽気で話し好きな性格だったこともあって、ひとりぼっちの静けさは彼女の心をたちまち蝕んでいった。

 孤独な老人が日々を暮らすことに価値を見い出せなくなって、半ば自ら生きることを手放してゆくことなど、『枠』の中にあっては珍しくも何ともない。
 『枠』の中では酷いことばかりが起きる、あらゆるすべてがどんどん悪くなってゆくようにつくられている。
 彼女もまた他の数多の老人達と同じように、途中でぽっきりと折れて倒れてしまった樹のように急速にその生を閉じるのだろうと思われた。その想像は容易だった。

 ところが。
 ある日、彼女が世話をしているささやかな庭に、一匹の子猫が迷い込んできた。
 どこから来たとも知れない、ありふれた模様の、薄汚れた痩せっぽちの子猫。
 一目見るなり、彼女はたちまちその生き物にめろめろになってしまった。

 彼女は早速、健康状態を診てもらうためにその猫を獣医に連れて行った。
 その帰りに、初めて立ち寄るペットショップで様々な道具や子猫用のフードを買い揃えた。
 死んだように静まり返っていたその家に、たちどころに明るい騒がしさが戻って来た。
 朝、空腹を訴える子猫の鳴き声で彼女は目を覚ます。
 夜には、彼女と同じ部屋で子猫が眠る。
 生まれて初めて猫を飼う彼女に、動物病院やペット用品店で出会う人達がいろいろなことを教えてくれた。
 近所の子ども達が子猫を撫でに彼女の庭を訪れるようになった。

 彼女はもう孤独ではないし、絶望もしていない。今では愛する猫のために一日でも長く生きることが彼女のたったひとつの望みだ。

 人間の心はたやすく絶望に呑まれる。
 けれどそれと同じくらいのたやすさで、状況はまったく反転してしまう。
 確かなものなど一つもないように見える『枠』の中では、『確かなものなどどこにもない』ことこそが唯一確実なことなのだ。
posted by 樋川春樹 at 01:07| Comment(0) | はる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『繊維』

「うわー、ビックリしたねー。このへんチアンが悪いって聞いてたけど、でも道歩いてるだけでいきなりナイフで刺されるとは思わなかったよねー」
「おマエがズボンのポケットから無防備に財布を覗かせてるのが悪いんだろ、強盗して下さいって大声で叫んで歩いてるようなものだよ。って言うか本当にマズいことになるところだったじゃないか、もうちゃんと財布しまっといてくれよ」
「おカネだけ抜いて捨てちゃったからダイジョウブだよ。でもホント、このジャケット着て来てて良かったー。コレッてナイフが効かない上着なんでしょ?」
「アラミド繊維をフィルム状にした防弾素材と高強度ポリエチレン繊維とを組み合わせて作った耐切創防護衣だからね。街のゴロツキ連中が振るう程度のナイフなんか通さないよ。アイツらも仰天してただろ」
「そうそう、あんときのアイツらのぽかーんとしたカオ、ケッサクだった! んで、ジャケットに穴すら空かなかったからパニクッちゃって、面白かったねー!」
「面白くないよ! いくら油断しきって歩いてたからって一般人に刺されるなんて恥を知りなよ、今日たまたまそのジャケットを着てなかったらボク達の身体がナイフを通さないってコトが普通の人間に知られてたところだよ!? 目撃者が大勢いるところでの犯行だったんだから!」
「そしたら見ちゃったヤツみんな片付けちゃえば良かったじゃん、こーゆートコッてどっちみちマトモなニンゲンはいないんでしょ?」
「そんなコト出来るワケないだろ、そもそも何人殺す羽目になると思ってるんだ。まったく、おマエはいつになったらほんの少しでも注意深い行動がとれるようになるんだよ。もうボクはおマエのお守り疲れたよ……」
「おいらだって『マスター』と一緒に動ける方がいいよ?」
「おマエみたいな危なっかしくてそそっかしくて頼りないのを『マスター』と一緒になんかさせられるもんか!」
posted by 樋川春樹 at 01:07| Comment(0) | はる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月09日

『アクリル』

 分厚いアクリルの水槽に張りつくようにして、目の前をゆらゆらと漂うそのいきものを、もうずいぶんと長いこと眺めている。

 地元の漁師の網に偶然かかったというそのいきものは、とらえどころのないかたちをしていて、形容しようのない色をしていて、どっちが前でどっちか後ろなのか、どっちが上でどっちが下なのか、どこが目でどこが口なのか−そもそもそういった器官が存在するのかどうかすらも−まるでわからない、見当をつけることさえ出来ない。

 水槽の脇に設置されたパネルの説明文に目を通してみたけれど、そのいきものが一体何なのかはまったくわからないらしい。明らかになっているのは捕獲されたおおよその場所と、おおよその時刻だけ。
 この生物の仲間の一種なのではないか、という推測は出来るものの、はっきりそう言い切れるわけではない、とのこと。

 ふよふよとたゆたっているのは、自ら遊泳しているのか、それとも水槽の中に水流があるのか、それすらも判然とはしない───本当に生命を持っているものなのかもあやふやな、そのいきもの。

 普段人間はこの世の何もかもがもう明らかになっていて、自分達に知らないことなど何一つないのだと言わんばかりに自信ありげに世界を歩き回っているけれど───本当のところは何も知らない、この世界のことなど。

 この惑星に存在する生物のほとんどを、人間はまだ知らない。目にしたことすらない。人間の営みの及ばぬ範囲で新しい生物がうまれ、人間にはまったく関わりのないところで生物が滅びる。全てを知りたがり全てを管理したがる人間達には悔しいことだろうけれど、それが事実だ。

 いま目の前にいる−ある?−コレだって、ある日網にひっかかるそのときまでは人間の存在など気にも留めずに暮らしていたのだ。
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『よしんば』

 『楽園』をつくりたかったわけじゃない、
 そんな大それたことを考えていたわけじゃない。

 自分がそんなことの出来る器の持ち主だなんてうぬぼれたことは一度だってなかったし、この先だってずっとないままだろう。

 つくりたかったのはそんな大層なものじゃない。

 もっとありふれていて、特別さがあるとしてもそれはほんの少しだけ、理想は誰もが気軽に立ち寄れるような−ふらりと立ち寄っては気ままなおしゃべりと美味しいお茶とお菓子を楽しんでいくような−そんな場所を、つくりたかっただけ。

 一番最初は友達が数人、やがて友達が知り合いを連れて来て、その知り合いがまたその友達を連れて来て、出入りする人間の数はまたたく間に増えていった。

 人数が増えるにつれて皆が集まるための建物も大きくしていく必要があった。ささやかな小屋はいつしか立派な集会所となり、周囲にはここに集まった人間達が暮らす家が何軒も建てられて、やがてそこには小さな村が出来た。

 その一連の流れは本当に自然で、淀みがなくて、気づいたらそうなっていたとしか表現のしようがないくらいにあっと言う間の出来事だった。

 『楽園』をつくりたかったわけじゃない。
 親しい同士がいつでも何となく集まって、楽しく過ごせる場所が欲しかっただけだ。穏やかな昼下がりや、暗く重たい冬の夜にも、誰もが誰かと寄り添って居心地良く過ごせる場所。

 ただ、自分がそういう風に考えていたことを、誰にもちゃんと言葉にして説明したりはしなかった。だから、一番最初からそばにいた友人達でさえも、この場所が何故つくられたのか正確に理解してはいなかったかもしれない。

 けれど、よしんば正しく伝わっていなかったとしても、それが何か問題となるようなことがあるだろうか?
 何の問題もない、現にこうして皆で毎日楽しく暮らしているのだもの。
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『濃縮』

 限定された空間で循環する感情は、次第に濃縮されその影を深くする。
 外部から新しい風が吹き込まない場所で巡る思惑は、各個人の制御を離れ誰もが思わぬ方向へと暴走を始める。

 ここにひとつの村がある、いや、「あった」と言いなおすべきか。
 いまはもう誰もいない。生きている人間は、という意味で。

 一人の男を中心として彼を囲む人々が寄り集まることでつくられたこの村は、二十数年の時を経てこうして廃墟と───いや、凄惨な事件の舞台となった。

 ○年○月○日に世界が終わる、人類が滅亡する。
 歴史上幾度となく繰り返されては外れて来た破滅の予言を、今回何故か信じてしまった村の重要人物達が、自らの絶望と恐怖に住民達を巻き込んだ模様。
 そのときその場にいたわけではないから詳細は不明だが、現場の状況から察するに、滅亡を信じた者達を信じた村人達は自ら毒をあおって死に、滅亡を信じた者達を信じられなかった者達は、これから毒を飲もうとしている連中に皆殺しにされたようだ。

 すこし離れたところにある町で聞き込んだ限りでは、この村の人々は全員とても仲が良くてまるでひとつの大きな家族のような親密な絆でもって繋がれているようだったということだけれど……それ故に、集団から抜け出そうとした者達−世界の終わりという最も重大な局面で和を乱そうとした−が許せなかったのだろう。
 狭い範囲で限界まで濃密になった感情が暴発して、取り返しのつかない事態を招いてしまったのに違いない。

 愚かしいことだと結論づけて、淡々とその事実だけを記録する。
 終わりの予言と同じく、この手の悲劇も何度となく反復されてきたのだ。

 まるで過去から何かを学ぶことを拒むかのような執拗さで、あらゆる愚行が反復され続けるのだ。
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2012年12月26日

『カフェ』

 彼らは人間のように生きてはいないし、そもそも生命ですらないのだと言う。
 出会ってからわりと時間が経ったけれど、私にはまだそれがどういうことなのかよくわからない。
 何も知らない目で見ているぶんには本当に人間と見分けがつかないし、彼らが『狩人』であると認識しつつ接してみてもその違いはまるでわからない───普通の暮らしの中で接している限りは。

 日常から逸脱した場面で考えてみるならば、彼らは明らかに人間とは違う。
 刺されても斬られても撃たれても死ぬことはない───最初から生きていないのだから、死ぬワケがない───どんなに深く大きい傷を負っても、その傷口は見る間にふさがってしまう───自分で自分を修復する機能が備わっているのだと、彼らはこともなげに言う。

 彼らの人間ではない部分を何度目にしても、何も起こらない普通の暮らしに戻って来る度にそれを忘れてしまう。
 平穏な日常の中で共に過ごす彼らは、それぞれの性格を持ちそれぞれの考え方を持ちそれぞれに行動する、他の若者達と何も変わらない。

 私が用意したお昼ご飯を実に美味しそうに平らげて───『狩人』には食事を摂る必要がない、それどころか人間と同じ味覚が備わっているかどうかもよくわからない───満足そうな笑顔を見せて、『マスター』は料理の天才だし絵も上手だから、将来はどこか静かな町でおしゃれなカフェを開けばいい、手書きの文字にかわいいイラストが添えられたメニューなんかをつくって、そうしたら自分達はそのお店をよろこんで手伝うし、『マスター』は求めていた穏やかで落ち着いた暮らしが送れるでしょう? なんて提案してくれる彼らは───人間そのものにしか、私には見えなくて。
posted by 樋川春樹 at 21:54| Comment(0) | はる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『こまごまと』

 ひとりの一生に一度だけ、人生を変える運命の『引き金』。
 そんな噂を耳にしたのは、どこでだったか。
 灰色のコートを着た『引き金』の持ち主が現れて、一度だけ人生を変えてくれる。
 曖昧な、不確かな、漠然とした、───その噂。

 現状、人生に不満はない。
 いつでも元気はつらつとしてるわけじゃないけれど大きな病気や怪我もしていないし、欲しいものが何でも手に入るほど裕福なわけじゃないけれど多額の負債を抱えて困窮しているわけでもない。
 満足ではないけれど、不満でもない。
 きっと、大多数の人々と同じ。
 何かいいことがあればいいなとは思うけど。
 劇的な変化を必要とするほどじゃない。

 それでも、考えるだけならと、考えてみてしまう。
 自分の一生が一度だけ変わるとしたら、どんな風に変わってほしいだろう。
 もっと幸せになりたい。
 でも、どんな風に?
 思いを巡らせてみても、なんだかとてもこまごまとした、くだらないことしか思いつかなくて、ちょっとだけ自分にがっかりする。

 こんな私には、そんな大層な『引き金』は必要ないみたい。
 でも。
 それなら、その『引き金』の持ち主は一体どんな理由があって、そんな不思議なものを手に入れたというのだろう?
 そして、どうしてその『引き金』を使って、自分自身ではなく他人の運命を変えて回っているのだろう?
posted by 樋川春樹 at 21:53| Comment(0) | はる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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