2013年06月04日

『改札』

 ほら、あそこを見てごらん。
 この指の先にある、改札のすぐそばのところ。
 犬が一匹、きちんとおすわりしているのが見えるかい?
 あの犬は、もう何か月も毎日同じ時間にここへやって来て、すっかり夜になって駅を利用する人が完全にいなくなるまで、ああしてじっと座って待っているんだよ。
 何を、って?
 今ではもうこの世にいない、愛するご主人様の帰りを、さ。

 数か月前までは、あの犬は改札をくぐって出て来るご主人様に連れられて、夕暮れの道を一緒に家まで帰って行ったものさ。
 でもあの犬がこよなく愛したご主人様は、事故であっさり亡くなったんだ。
 ご主人様はもういない、どこにもいないのに、あの犬はああして毎日あの場所へやって来て、以前のようにご主人様の帰りを待っている。
 感動的なハナシだと思うかい?
 忠実で賢い犬の、涙を誘う美談だと思うかい?
 素直に解釈するなら、そうなんだろうね。
 そうなんだろうし、そう解釈しておけば、世の中はうまく回っていくのだろうね。

 けれど、こうも考えられはしないかい?

 あの犬は、主人の死を理解出来ないほどに愚かなのだと。
 愚鈍であるが故に、あの犬は状況の変化を把握出来ない。
 あの改札から待ち人が出て来ることはもう決してないのに、それでも頑なに同じ時間同じ場所でああやって待ち続けるのであれば……それは、身に染みついた行動をただなぞっているだけ、日課となった行動を機械的に反復しているだけ、ではないのかな?
 本当に忠実で本当に賢いのならば、あの犬は今頃主人の墓石の前にいるはずさ。

 あるいは、こうも考えられるんじゃないかな?

 亡くなった主人をああやって慕い続けているあの犬に、この駅の周辺に店を構えている人々はとても優しくしている。
 お腹が空いてはかわいそうだとあれこれとえさを与えて、暑い日には水を用意してやったりもする。
 それでなくてもまめに声をかけて撫でてやったり、とにかくあの犬を決して邪険には扱わない。
 だからあの犬は要するに、そんな風に大勢の人間にちやほやされたいからここに来るのではないのかな? あの場所に来てああして座っていれば、大勢の人間が自分を構ってくれる、おいしいものをくれるということを学習したから、だからああしているだけではないのかな?
 ねえ、もしもこの付近の人達があの犬を疎ましく思って、水をかけたり棒切れで叩いたりして追い立てたりしたら、それでもあの犬はあの場所に戻ってくるのかな?

 人間は、自分でも気づかないうちに自分自身で設定した『枠』でもって、世界を切り取って解釈する。
 あの犬がどうしてあそこで座り続けているのか、何かを待っているのかどうかさえ、あの犬自身にしか結局わからないことなのに、意味づけの毒に狂った人間の脳はそこに物語を読み取らずにはいられない。

 でもまあ、じっくりよく見るとなかなか利口そうで、愛嬌のある顔つきをしたかわいい犬だよね。
 近くに寄ってちょっと撫でていこうか?
posted by 樋川春樹 at 00:51| Comment(0) | はる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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