2012年11月28日

『リメイク』

 あのときのことはまだ鮮明に憶えているよ。

 どこかとても遠いところを見やるような表情になって、老人はしみじみと呟いた。

 忘れようとしても忘れられるものか、そりゃあ素晴らしいものだった。
 ひとよりもいくらか長く生きてきた身だけれど、あれほど感激したことは人生にそうはなかったよ。

 それまで白黒だった世界に、何千何万もの色が着いた。
 それまで無音だった世界に、いきいきとした声と音楽が響きわたった。

 映画館のスクリーンに映し出された、華々しく賑やかでスリルとロマンスに満ち溢れたその世界は、それを観るもの達の心をいっぺんに掴んでしまって長い間はなさなかった。

 同じ作品を、繰り返し繰り返し観たものだ。飽きるなんてことはまったくなかった。

 自分達が暮らしている日常とはまるで違う世界が目の前に現れるだけで、自分達とは全然異なる価値観を持って生きている登場人物のすることをただ見ているだけで、本当に本当に楽しかった。

 食糧も働き口も明日への希望すらなかったあの頃。
 スクリーンの中で華やかに笑う人々に強く憧れ、少しでもそばへ行こう、同じような幸福な暮らしを送れるように、と願い続けた。

 あの日々のことはいまも鮮明に憶えているよ、忘れられるものじゃない。

 いま上映されているのはリメイクされた作品で、脚本も演出も若干現代風にアレンジされているようだけど、それでもいまの人達には退屈なだけのストーリーかもしれないな。
 何十年も昔にこの映画がどうしてあれだけ繰り返し上映されたのか、当時の人々があれだけ支持し続けたのか、やっぱり理解出来ないかもしれないな。

 はじめから色も音楽も豊富な世界に生まれついたひと達には、あの頃、灰色に閉ざされた世界からスクリーンの向こう側に焦がれ続けた気持ちはきっとわからないだろうな……。
posted by 樋川春樹 at 21:35| Comment(0) | はる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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