2013年06月04日

【指令】第31週:樋川→華涼

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ごきげんよう、華涼嬢

さて、今回の任務の内容を伝える。
以下の三つのタイトルについて文章作品を完成させて欲しい。

『カード』
『出発』
『話題』


・期限は2013年6月12日23時59分までとする。
・任務完了後、「@utanarahi」まで必ず報告をすること。

なお、次回の指令は2013年6月10日0時より、期限までに発表する。

では、任務の成功を心より祈る。


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posted by 樋川春樹 at 00:54| Comment(0) | 指令書。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『スキンケア』

 人間の女性であるというのは大変なことなんだね、と呟いた声が、自分でも想定していたよりも他人事の口調で。
 広げていた雑誌からふと顔を上げてテーブルの向かい側に座っていた『姉』に視線を向けたのは、呑気過ぎる自分の台詞に相手がどんな反応をしたのか確かめたかったから。
 けれど、と言うべきか、やはり、と言うべきか、『姉』は普段通りの冷徹な無表情のまま、自分が見ているのとは別の雑誌のページを淡々とめくっているだけ。
 相槌を打つどころか目を上げることさえしなかったけれど、彼女が自分の話をちゃんと聞いていることは経験上知っていたから、そのまま発言を続ける。
 スキンケアって言うの? それひとつとっても、洗顔の後に色んなクリームやら何やらを塗りたくってきっちりケアするのが良いって言われたり、逆に余計なものをあれこれ使わずにナチュラルな素材でつくった石けんだけで洗った方が良いって言われたり。ダイエットのやり方もファッションにしても、正解なんかない問題にたくさん振り回されないといけないみたい。

 ねえ、自分がソレを模してるだけで実際は『人間の女性』じゃなくて、良かったと思う?

 悪戯っぽく笑いを含んだ声で問うと、『姉』はほとんど表情をかたちづくることのない唇にほんのかすかな、本当にかすかな苦笑のような色を浮かべて、あれこれ振り回されないといけないのは『人間の男性』も結局同じだ、と静かな声で呟いた。ただ、私達がそれらに関わらないようにしているだけだ、と。

 時間に縫い止められ世界に記憶された『姉』の容姿は煩雑な手順を踏まなくとも、最初につくられたときの若いままの姿で在り続ける。彼女と性別だけを違えた自分の外見も然り。

 人間であることは大変なんだね、言いなおした声もやはりどうしようもなく自分自身には無関係なことを語る声色だったから、けれど自分達は過去に一度も人間であったことがないのだから、それもまた仕方のないことなのかな、と少しだけおかしくなる。
 ───雑多な雑誌を読み漁って使い捨ての情報を詰め込んで、どうにかして生きた人間を真似ている自分達の滑稽さ。
posted by 樋川春樹 at 00:52| Comment(0) | はる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『およそ』

 『狩人』には寿命はない。
 もとよりまがいものの生命が尽きるはずもなく、仮に『木偶』もしくはそれに準ずる存在に完膚なきまでに叩き壊されたとしても、肉片のひとかけらからでさえ───細胞の一片からでさえ───再生することが出来る。
 形式を真似ただけに過ぎない偽りの生を無限に反復する彼らにとって、およそ百年という短い間しか生きられない人間の存在、人間の生きる時間は、取るに足らなくてちっぽけでどうしようもなくて、それでいてはかなくてもどかしくてやりきれない。
 『狩人』達にはいつか必ず終わる生を生きている人間達の気持ちがわからないし、ちょっとしたことであっけなく死んでしまう脆弱な身でありながらときとして本当に無謀で愚かなことに踏み切ってしまう人間の精神構造がわからない。
 姿形や立ち居振る舞いを模倣して、人間達の社会の中で暮らせるように様々な技能を身に着けておきながら、根本のところは絶望的にわからない、想像してみることさえ出来ない。

 いつか終わりがあるなんて、それはきっと悲しいだろう。

 いや、多分すごく恐ろしいことに違いない。

 もしかしたら、とても悔しいことかもしれない。

 でも本当は、ほんとうは素晴らしいことなのかもしれないな。

 『狩人』達が口にする感情を表す言葉さえも、実のところ人間達が使うその音を真似たものに過ぎないのかも、しれない。
posted by 樋川春樹 at 00:51| Comment(0) | はる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『改札』

 ほら、あそこを見てごらん。
 この指の先にある、改札のすぐそばのところ。
 犬が一匹、きちんとおすわりしているのが見えるかい?
 あの犬は、もう何か月も毎日同じ時間にここへやって来て、すっかり夜になって駅を利用する人が完全にいなくなるまで、ああしてじっと座って待っているんだよ。
 何を、って?
 今ではもうこの世にいない、愛するご主人様の帰りを、さ。

 数か月前までは、あの犬は改札をくぐって出て来るご主人様に連れられて、夕暮れの道を一緒に家まで帰って行ったものさ。
 でもあの犬がこよなく愛したご主人様は、事故であっさり亡くなったんだ。
 ご主人様はもういない、どこにもいないのに、あの犬はああして毎日あの場所へやって来て、以前のようにご主人様の帰りを待っている。
 感動的なハナシだと思うかい?
 忠実で賢い犬の、涙を誘う美談だと思うかい?
 素直に解釈するなら、そうなんだろうね。
 そうなんだろうし、そう解釈しておけば、世の中はうまく回っていくのだろうね。

 けれど、こうも考えられはしないかい?

 あの犬は、主人の死を理解出来ないほどに愚かなのだと。
 愚鈍であるが故に、あの犬は状況の変化を把握出来ない。
 あの改札から待ち人が出て来ることはもう決してないのに、それでも頑なに同じ時間同じ場所でああやって待ち続けるのであれば……それは、身に染みついた行動をただなぞっているだけ、日課となった行動を機械的に反復しているだけ、ではないのかな?
 本当に忠実で本当に賢いのならば、あの犬は今頃主人の墓石の前にいるはずさ。

 あるいは、こうも考えられるんじゃないかな?

 亡くなった主人をああやって慕い続けているあの犬に、この駅の周辺に店を構えている人々はとても優しくしている。
 お腹が空いてはかわいそうだとあれこれとえさを与えて、暑い日には水を用意してやったりもする。
 それでなくてもまめに声をかけて撫でてやったり、とにかくあの犬を決して邪険には扱わない。
 だからあの犬は要するに、そんな風に大勢の人間にちやほやされたいからここに来るのではないのかな? あの場所に来てああして座っていれば、大勢の人間が自分を構ってくれる、おいしいものをくれるということを学習したから、だからああしているだけではないのかな?
 ねえ、もしもこの付近の人達があの犬を疎ましく思って、水をかけたり棒切れで叩いたりして追い立てたりしたら、それでもあの犬はあの場所に戻ってくるのかな?

 人間は、自分でも気づかないうちに自分自身で設定した『枠』でもって、世界を切り取って解釈する。
 あの犬がどうしてあそこで座り続けているのか、何かを待っているのかどうかさえ、あの犬自身にしか結局わからないことなのに、意味づけの毒に狂った人間の脳はそこに物語を読み取らずにはいられない。

 でもまあ、じっくりよく見るとなかなか利口そうで、愛嬌のある顔つきをしたかわいい犬だよね。
 近くに寄ってちょっと撫でていこうか?
posted by 樋川春樹 at 00:51| Comment(0) | はる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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